差替文庫

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長女(5歳)と絵本を創った話⑤

本文を書こう

すべてのイラストの準備が完了したら、次は本文だ。

さすがに5歳児の長女はタイピングできないため、イラストと箇条書き形式のプロットを交互に確認しながら、長女が語った言葉を書き留める口述筆記形式をとった。

 

結果から言えば、思いの外、本文作成はスムーズに進んだ。

このあたりは、毎日のようにやっている「お話」遊びが功を奏したと感じている。これは絵本の読み聞かせに替えて、最近、寝かしつけの定番となっている遊びだ。

例えば「ウサギ、まんじゅう、宝石」のように一見すると関係のない「お題」を2つ3つ決めてから、その要素すべてを使った「お話(物語)」を即興で作るという極めてシンプルなルールの遊びである。ただし、参加者(大抵の場合は、長女と私で行われ、次女が入ることも増えてきた)が一節ごとにリレー形式で引き継がれていくため、展開が読めず油断ならない。ハッピーエンド至上主義者の長女は平和裏に事を運ぼうとし、性根の腐った父はシュールな展開を挟みたがり、お笑い重視の次女は登場人物を次々とマッチョ化させていくため、毎度、迷作が出来上がるのだが、それはそれだ*1

ともかく、この遊びを通じて「昔話や絵本のような形式で文章を紡ぐ」という力が付いていたのではないかと思う。おかげで、絵本らしい文章がスルスルと紡がれていく。まさか、こんなところで役立とうとは……。

 

時折、夢中になりすぎた長女が展開を急ぐあまり、一文が長くなってしまうことがあるため、そこは適度に切るように促した。ただし、文章表現に限って言えば、ほぼ独力で最後まで彼女は語り終えたと思う。

特に個人的に注意したのが、大人の視点で彼女の表現を歪めてしまわないこと。冒頭の「ちきゅうのどこかに おうちがない ユニコーンのこどもがいました」という一文についても、「地球の何処か」という書き出しには多少の違和感を覚えるところだが、それはそれで彼女の「味」なのだからと手出しは控えた。

また途中、ファンタジー世界にはそぐわない「スーパーヒーローのように」という比喩が現れるのだが、ファンタジー作品のみならず「プリキュア」や「スパイダーマン」、「パジャマスク」なども等しく楽しむ5歳児の世界観では、勇気を表す表現として「スーパーヒーロー」を用いることは、ごく自然なことなのだろうと考え、そっとしておいた。

 

さらに言えば、結果論だがイラストを先に仕上げておいたことも良かったと思う。絵的に表現されていることを、ストレートに本文に落とし込むことで、冗長だったり、イラストに盛り込めなかったことを、すっぱり除去できたため、物語もスッキリとしたのだ。

本文に関して言えば、ほとんど障害らしい障害なく作業を終えることができたのではないだろうか。

 

編集作業は父ちゃんの仕事

本文が仕上がったなら、あとは父ちゃんの仕事である。PhotoshopInDesignを使って入稿用データを作り、ひとまずpdf化して絵本としての仕上がりを長女に確認してもらう。

これと並行して私は、KDPこと「Kindle ダイレクト・パブリッシング」を利用した電子書籍出版に向けて、仕様や登録方法などをお勉強。絵本作りということで「Kindle Kids' Book Creator」を使おうと思ったものの、日本語に対応していないということで諦め、「Kindle Comic Creator」に切り替えて、試しにmobiファイルを作成してみた。

正直、今の形が読みやすいのかどうか、よくわからない。もう少し良い方法があったのかもしれないが……いまは、その辺りを突き詰めることよりも、リリースを楽しみに待つ長女のためにも、完成した作品を手早く出版することを選ぼうと考えた。

だが、mobiファイルの作成過程で、出版するためには著者名を決めなければならないことに気付かされた。長女には、まだやるべきことが、ひとつ残されていたのだ。

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完成した最初の見開き

 

ペンネームを考えよう

まだ未成年、しかも5歳児の本名を安易に晒すことは避けるべきだろう。

ということで、長女にはペンネームの概念を教えて、自分で命名するようにと促した。

最初に出てきたのは「マリー」という名前だった。

この名は、はじめて共に遊んでクリアしたRPGポケットモンスター ソード&シールド』に登場する「マリィ」というキャラクターに由来する。何を隠そう長女は、このマリィが推しキャラなのであり、これ以来、ゲームをプレイする際には、かならず「マリー」という名前を使っているのだ。

一方、名字の命名には少し時間がかかった。

しばし考え込んでいた彼女が選んだのは「うみな」というもの。理由を聞くと「海が好きだから」であり、「な」は「さわやか~って感じだから」とのこと。

どう爽やかなのかは彼女の感性なので置いておくとして、兎にも角にも、こうして「うみな まりー」が誕生したのだった。 

 

 無事出版

そんなこんなで、無事に「うみな まりー」著『ユニコーンとにじのじょおう』がKindleストアにて出版と相成った。

販売開始後、やっぱりこの文はなくしたいんだけど……と、本文の修正を試みようとする長女を(ブラッシュアップに余念がない姿勢に関心しながらも)、リリースしたのだからとやんわり諌めつつ、動向を見守ったこの3日間……。

利益分配レート70%の下限価格とはいえ「250円」という5歳児の作品としては強気すぎる値段設定にも関わらず、思いがけず、多くの方に購入いただけたことは、父親としてただただ感謝するしかない。一時は、日本Kindleストアの「絵本」カテゴリにおいて、売れ筋ランキング2位、新着ランキング1位という予想外の結果を残すことになった。

発売3日目である現時点で、すでにロイヤリティは予定していた印刷費に必要な金額を上回っており、長女の希望どおりに製本することが可能な状況となっている。彼女が裏表紙も創りたいと言っているため、その作業が残されているものの、無事に絵本創作プロジェクトは完遂することができそうだ。

購入・購読していだいた方、感想やレビューを送ってくださった方、心より御礼申し上げます。本当に、ありがとうございました。

*1:実際に作られた迷作のひとつ、「ムキムキ山」を例として紹介しよう。この物語のお題は「タヌキ」と「おにぎり」のふたつ。ベースラインは昔話「カチカチ山」に似ており、親切な老女を暴行して逃亡した悪いタヌキを、ウサギがこらしめるという内容だ。だが筋書きは微妙に異なり、登山中にビルドアップしてマッチョ化したウサギが、背後からタヌキを羽交い締めにした末に山から海まで投げ飛ばす。そして真摯に反省したタヌキと老婆は和解。マッチョウサギを交えて、浜辺でおにぎりパーティーを繰り広げてハッピーエンドを迎えるのだ。

長女(5歳)と絵本を創った話④

イラストに色を塗ろう

下絵が完成したので、次はフォトショップを利用した仕上げ作業だ。

しかしながら、この絵本創作プロジェクトは妻と次女を驚かせるために、秘密裏に進めるという長女の方針があったため、すぐに続きを始めるわけにはいかなかった。基本的に作業は「休日」かつ「次女さんが昼寝している間」のみという時間的制約があるのだ。

そこで、限られた作業時間を最大化させるべく、私は平日の深夜……仕事が終わった後に、こそこそと下準備を強いられることになった。コピー用紙に鉛筆で描かれた下絵をスキャナーで取り込み、入稿データを意識したサイズに整形、見えやすいように整える……。かくして、長女にとっては長い一週間が過ぎ去り、待ちに待った次なる休日を迎えたのだった。

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線画

まず用意したのは線画だ。フォトショップの使い方は、LINEスタンプを創ったときに、ある程度教えたので、最低限のことは理解している。ペンタブレットの扱いもお手の物だ。

鉛筆画と違い、失敗してもきれいさっぱり消去して、何度だってやり直せるというのは大きな強み。まっすぐ線が引けなくとも、ラインツールがあれば問題ない。

細かな調整などは、さすがに私も手伝いはしたが、下絵をトレースしながらの線画作業は順調に進んだ。

今回の作業を通じて、多角形選択ツールの扱いも習得した長女は、線画が出来上がるとカチカチと選択範囲を選び、次々と着色していった。

そして塗り終わったイラストがこちら。

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着色

ひとつ驚いたのが、何も説明されずとも最前列の木と、奥の木の色を塗り分けていたことだ。長女に意図を訪ねたところ「そのほうが森が広く見えるから」とのこと。

明るい昼間なら近くを濃く、遠くを淡く青系に寄せて描くことで遠近感が生まれるが、暗い夜なら遠くにあるものを濃く描いたほうが奥行きが出るという「空気遠近法」と時間経過のロジックを、なぜ知っているんだろうか……。

関心しつつも、長女は納得がいっていない様子で、もっと暗くしたいと言い出した。

そこで別レイヤーを「乗算」にしたうえで紺色を乗せて、不透明度をいじるという手法を教えてみたところ、こうなった。

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色味調整

だが、まだ納得できない様子で「月を足したい」と言った。

本人いわく「その方が夜っぽくなると思う」とのことで、「星はいっぱい描かないからいい?」と心配げに聞いてきたので、試してご覧と促した。

しばらく三日月の線画が描けずに四苦八苦して「どうやればうまく描けるのかわからない」とうなだれてしまったので、きれいな円形を描くことは大人でも難しく、訓練が必要だということを説明した上で、楕円形選択ツールの存在を教えて彼女が納得の行く「きれいな三日月」を描いてみた。

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完成

かくして最初のイラスト「夜の森を歩くユニコーン」が完成した。

なかなかどうして、それっぽくなっている。

このイラストをスマホに転送し、待受画面に設定して気に入ったことを示してみせると、長女は満足げな表情を見せつつも「お母さんには、見せちゃダメだからね」と念を押すことを忘れなかった。

長女(5歳)と絵本を創った話③

イラストを描こう

プロットは出来上がった。描くべき状況にも目星はついた。

そこで今回は、本文を書く前に、イラストを描いてもらうことにした。

本文を先に書かせて想定以上に筆が乗ってしまった場合、長女の画力では再現不可能な状況が生じてしまうのではないかと危ぶんだのだ。

そんな父の疑念を知らずに、長女はやる気満々で鉛筆を削っている。

箇条書きの最初には、こうある。

 

ユニコーンのこには おうちがありませんでした。もり。やま。

 

これは「お家」を求めて、ユニコーンの子どもが森や山を探して旅をしているという意味だ。

そこで長女に、どんな絵にする?と問いかけたところ、以下のような答えがあった。

 

「森の中を歩いているユニコーンにする」

 

その理由を聞いてみると、山よりも暗い森の中のほうが「さびしい感じ」がするから、とのこと。よく考えているではないか。さらに突っ込んで、昼間の森と夜の森、どっちにする?と問うと「夜」と即答。理由は同じく「さびしい感じ」がするからとのことだ。

ここで長女をベタ褒めした。

そうやって絵本の絵で、登場人物の心をあらわすのは、とても良いことだ。読んでいる人に気持ちが伝わるよ、と。すると照れながらも、さらにやる気でみなぎった様子の彼女は、コピー用紙に鉛筆を走らせた。

 

そうして最初に描きはじめたのが、以下のイラストだ。

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満天の星空

やる気が出過ぎたのか、星を描くのが楽しくなってきたのか、どんどん星を追加していく長女に、父は静かに問う。

美しい星空で「さびしい感じ」は出るのか、と……。

すると彼女はハッとした様子で慌ててコピー用紙を裏返した。そうして描き直したのが、こちら。

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深い木々の中を歩くユニコーン

木については何も指摘していなかったのだが、大きく覆いかぶさるような木々の下を、ユニコーンが歩く構図に変化している。これで闇に包まれた森の印象が大きく変わった。

かくして一枚目の下絵が完成。

ちなみに線がラフなのは、パソコンに取り込んでからフォトショップで線を描くから、大雑把でいいよと伝えていたからである。

 

どこまで父親が介入すべきか

そもそもの話であるが、この絵本創作プロジェクトに着手する際に、長女と「どこまで父ちゃんが口出しをするのか」という作業方針について話し合っておいた。

その際、私が提示したのは、以下のふたつの進め方である。

 

【おまかせコース】

長女に自由にやらせる。パソコンを使った作図やDTPについては手助けするが、それ以外のことは全部おまかせ。自由に楽しくやっておくれという方針。

 

【本気コース】

父が編集者になる。より良い作品作りのために、方法論や技術論を指導する。微妙だと思ったら、容赦なくダメ出しをする。作品の完成度が高まると思うが、本気なので、ときに厳しく、辛い思いをするかもしれない。

 

これに対して長女は、後者を選んでいた。

 

「わたしは、いい絵本が創りたい。がんばるから、だいじょ~ぶ~」

 

妙に間延びした「大丈夫」宣言が気になるところだが、彼女の意図を汲んで私は「編集者」という立場から口を挟むことにした。基本方針は以下のとおりである。

  • 感想は正直に言う
  • 特に悪手だと思ったことは隠さず伝える
  • 技術的なアドバイスは積極的に行う
  • ただし、問題提起に留めて、具体的な指示はしない
  • 改善策の考案は長女に任せる
  • 最終的な判断は長女に任せる
  • 良い判断はベタ褒めする

今回のケースでは「星空が美しすぎるのではないか」という指摘はするが、「星がない方がいい」とまでは言わない。「星をなくしたことで、より寂しげな雰囲気が出た」という点は褒めまくる。といった感じだ。

 

かくして彼女は次女さんが昼寝をしている間、3時間弱ぶっ通しで作業して全9見開きぶん12枚の下絵を完成させたのだった。

 

長女(5歳)と絵本を創った話②

物語を考えよう

主人公が決まったので、次は物語のプロット作りだ。

そこで「どんな物語にするの?」と聞いてみたところ、ひとつのアイディアを説明しはじめたものの、途中でより良いアイディアを思いついたらしく、「やっぱりこっち!」と次のように発言した。

 

「お家がなくて、ひとりぼっちのユニコーンの子どもが、

 雲の上にあるお城を見つける話はどう?」

 

発想は良い気がする。しかし、山なし落ちなし意味なしとまでは言わないが、展開に起伏が見られない。そこで殊更大げさに「うーん」と唸って見せると、長女は食いついてきた。

 

「どこがイマイチなの?」

 

そこで、下の図を描いて説明を試みた。

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おはなしをかんがえようの図

身内用に書いたものなので、字が汚いのは、ご容赦願いたい。

ともかくこの図で説明したのは、君の物語は上のようなもので「ピンチも苦労もないので、ハラハラドキドキしないのだ」ということ。

これに対して、下の図は物語の緩急、山や落ちについて説明したもので、おそらく「三幕構成」を極端にシンプルにしたようなものになっていると思う。長女に対しては、「お家がないユニコーンの子ども」という主人公が「お家を探す物語」なのであれば、ゴールラインは「お家が見つかること」だろうと説明。つまり、「お家を探す」行為に対して、ピンチや苦労を考えることでハラハラドキドキが生まれて、君の物語は、もっと面白くなるのだ、という趣旨のことを噛み砕いて教えてみた。

すると「うん、わかった!」とのお答え。

本当にわかったのだろうか、少しばかり難しすぎることを教えているのではないかと、内心、危ぶんでいたところ、まずは「苦労」について提案してくれた。

 

「じゃあ、いろんなところを旅するのはどう?

 森とか砂漠とか洞窟とか。最後に雲の上にあるお城を見つけるの」

 

いいね。でも、もっと苦労している感じがほしいと要望を出すと……

 

「んー、じゃあね、こういうのはどう?

 森とか洞窟とか探しても、お家が見つからないの。

 それで、もう駄目だーってあきらめて座っちゃう。

 それで、空を見上げると、そこにね、雲があってお城が見えるの」

 

さらに良くなった。諦めて座って空を眺めるという動作の自然さに加えて、疲れ果てた様子や絶望感も感じられる。何気に城という理想郷を見つけてしまったことで引き返せなくなるという意味においては、三幕構成における「ファースト・ターニングポイント」となり得るような展開じゃないか……。

その後も、数度のやりとりを経て、ピンチに該当する展開や、それを乗り越えるための努力、物語のカタルシスとなる要素などを考えさせていったところ、見事にプロットが完成した。

それらを整理するために、長女が書いた図が以下のとおり。

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長女のプロット図

ネタバレ対策のため、三幕構成における「セカンド・ターニングポイント」にあたる部分や、その後の展開については隠させていただくが、なかなかどうして、しっかりと理解してくれているではないか。

その後、プロットを箇条書きに書き直した上で、どこまでを1ページ(ひとつのイラスト)に収めるのかを話し合い、合計18ページになるであろうところまで作業を進めて、絵本作り初日は終わったのだった……。

長女(5歳)と絵本を創った話①

創作がしたい

ここのところ長女(5歳)は、ちょっとした時間ができるたびに「なにか創りたい」という趣旨の発言する。

最初はお絵かきや折り紙で済んでいたその欲求は日増しに強まり、手製の漫画や絵本、歌、工作、秘密基地づくりと次第に複雑化し、やがてLINEスタンプTシャツのデザインへと発展していった。

store.line.me

suzuri.jp

そんなある日のこと、彼女はこういった。

 

「お父ちゃん、創作がしたい」

 

聞けば、私が本業で制作に関わらせてもらった絵本『ナマズオとだれもみたことのないもの』のように、しっかりと製本した絵本を創りたいのだという。もうコピー用紙を折りたたんで、ホッチキスで留めただけの手作り絵本では満足してくれないらしい……これは大変だ。

とはいえコロナ禍で、遠くに遊びに出かけることも憚られる状況もあり、せっかく自宅で出来ることなのだからと、長女の要求に真正面から向き合うことにしてみた。

よろしい、ならば創作だ。

 

もちろん長女に物語を考えさせ、絵を描かせることはできるし、これでも私は元出版編集者なので簡単な編集作業ならできる。お金さえかければ、印刷所に依頼して製本してもらうこともできるだろう。

だが、それではありがたみも薄いというもの。ここはひとつ、自分自身で印刷費を稼いでいただこう。せっかくの機会なので、どうせなら経済の仕組みというもの、お金というものの有り難さ、創作物で対価を得ることの意味も学んでほしいのだ。

 

その結果として、なんやかんやあって絵本『ユニコーンのこどもとにじのじょおう』を創り、Kindleで電子出版してみたので、その過程を記録していこうと思う。

 

どんな絵本を創りたいの?

 さあ、創るとなったら、こちらも本気だ。

「どんな絵本を創りたいの?」

そう問うと長女は、真っ先に「ナマズオの絵本」と答えた。

父が関わる創作物を気に入ってくれるのは嬉しいのだが、ナマズオは株式会社スクウェア・エニックスの著作物であり、商用利用して良いものではない。著作権とはなにかを切々と説き、自分のオリジナルキャラクターで勝負することに納得していただいた。

その上で、どんなキャラクターがいいのかと再び問うと、少し考えてから彼女は「ユニコーンがいい」と言った。ほほう、なるほど……そうきたか。

そこでコピー用紙と鉛筆を渡して、どんなキャラクターなのか描いてごらんと伝えてみたのだが、初っ端から躓くことになる。

なかなか自分が思うように、デザインを描けなかったのだ。

 

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大いに苦戦している初期スケッチ

ネコやウサギは、これまでも何度となくお絵かきしてきたのだが、「ユニコーン=馬」は、なかなかに難しい。大人の私が描けと言われても、ちょっと苦戦しそうだ。

あまりに思い通りにいかないものだから、そのうち長女は悔しさのあまり目に涙をため……べそをかきはじめた。

これはマズい、心を落ち着かせなければ……。

ひとまず鉛筆から手を離すように言い含めつつ、コピー用紙に慌ただしく下の図を描いて見せた。いきなり鉛筆を動かすのではなく、どんなキャラクターを描きたいのか頭の中で思い描いてごらん。

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キャラクターをつくろう!

しばし考え込んだ彼女は、そのうちに「おぢづいだがら、がんばる」と鼻声で言うので、「カラダ」や「アタマ」のシルエットを大まかに円で描いてから細部に移るようにとアドバイスを送りつつ作業再開。すると少しずつ、長女なりのユニコーンが姿を現し始めた。

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形が見えてきたスケッチ

かくして、主人公キャラクターである「ユニコーンのこども」の大まかなデザインが完成した。さあ、次は物語のプロット作りだ……!

 

我が家の系譜

長い前置き

我が家には、代々伝えられてきた「系譜」なるものが存在する。
そして、この系譜によれば、親の親のまたその親の……と遡ってゆくと、織田信孝に行き当たる。つまり系譜を信じるならば、私は「織田信長の末裔」ということになる。

幼い頃に祖父や父からそのように教わったこともあって、これまで織田信長には、それとなく「ご先祖さま」として親しみを覚えてきた。コーエーSLG信長の野望』をプレイするにあたっては、まず織田家から始めるくらいには。

思えば、これが歴史に興味を持つキッカケだったのかもしれない。

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系譜

系譜の記述によれば、話はこうなる。

織田信孝は、大脇定秀の娘を娶っており、彼女が天正11年(1583年)に岐阜城にて男児を出産した。これは信孝が秀吉と対立して戦い敗れ、切腹したのと同じ年のことである。

この男児(幼名・平三郎)は大脇城に匿われ、母方の祖父である定秀によって養育されたという。そして七歳の時に出家、さらに十一歳の時に還俗して大脇姓を用い、後に太郎右衛門重隆と名乗り始める。重隆は、その後に遠山久兵衛の姪・保子を娶り、遠山氏の薦めで山村良勝に仕え、以後、大脇家は木曽福島に移って、山村家の家臣として暮らすようになる。

これにより重隆は、大脇/織田家にとって「中興の祖」と伝えられることになったという。

なかなかに波乱万丈の人生だ。

とはいえ、自分も教えられたままに系譜を信じていた子供時代とは違って、今では歴史を語るには「史料批判」が重要なのだと理解している。史料を用いるには、その正当性や妥当性を多角的に検証しなければならない、という歴史学の原則だ。

つまり系譜があるからといって、それだけでは歴史学的には「織田信長/信孝の末裔である」とは言えないのだ。

重隆の出生に関わる「大脇定秀」なる人物のこともよくわからないし、彼の娘が信孝の死に前後して男児を出産しており、隠されつつ養育された……という流れは、物語としては面白くとも、他の史料に記されているわけでもない。

せいぜい、この系譜から言えるのは、自分は「織田信長/信孝の子孫を称する家系の生まれである」といったところだろう。

自分としては、もはや話の種のひとつくらいの認識でいるので、それで一向に構わない。

ただし、これからも変わらずネタとして織田信長や信孝に対しては「ご先祖さま(仮)」として親しみを持ち続けるだろうし、『信長の野望』の新作をプレイするにあたっては、まずは織田家からチョイスしていくと思う。それくらい許して欲しい。

 

が、ちょっとした出来事があり、どの程度、我が家に伝わる系譜の記述に信憑性があるのか、という点に興味が湧いてきた。

大河ドラマ麒麟がくる』の最終回に際して、何の気なしに発した以下のツイートが、予想以上にリツイートされた結果、ネットニュースとして切り取られるわ、Wikipedia「織田信孝」の項目に記述されるわで、深々とデジタルタトゥーが刻まれてしまったのだ。

 

 

自分が織田家ネタに触れるのは今回が初めてではなかったので、なぜここまでの反響が……と動揺したし、一部にはネガティブな反響もあったため、正直なところツイートしなければ良かったのではないかと軽く後悔もした。

ただ、ひとつ良いことがあった。

件のツイートを見た、木曽福島郷土史愛好家の方から『檜物と宿でくらす人々~木曾・楢川村誌 第3巻:近世編~』(楢川村誌編纂委員会編集)という書籍に、系譜に十代目として記載されている「大脇信就(正蔵)」についての半生を記したパートがある、との情報を寄せていただけたのだ。

これがインターネット集合知というやつか!

 

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『檜物と宿でくらす人々~木曾・楢川村誌 第3巻:近世編~』

さっそく、この書籍を古本で取り寄せてみると、たしかに100ページ以上に亘って「信就(正蔵)」が繰り広げてきた政争について事細かに記載されていた。なるほど、これは面白い。
さらに興味を引いたのは、信就(正蔵)についての紹介として「大脇家」の沿革についても軽く触れていた点だ。そして、その情報源となる引用元についての記載もあった。

ならば、この本を取っ掛かりにして、ある程度の信頼が置ける史料から「大脇/織田家」に関わる記述を見つけ出して我が家に伝わる系譜と見比べることで、四代の出自はともかくとして、多少なりともご先祖さまたちへの理解を深められるのではないだろうか。そう思い立ったわけである。

 

ようやくの本題

我が家の系譜では、先祖を「織田信秀」、二代を「織田信長」、三代を「織田信孝」とカウントしている。これに対して、木曾福島における大脇家の祖となる「重隆」は四代という扱いだ。

系譜には重隆以降、現在に至るまで家督を継いだ者の名前と略歴が記載されているのだが、今回は幕末・明治初期まで、つまり四代から十二代について確認していきたい。

 

これと比較するものとして、まずツイートを介して紹介していただいた『檜物と宿でくらす人々』から見ていこう。同書P.799に以下のような記述がある。

『木曾福島町史』によれば、大脇家の遠祖は苗木藩の遠山家に仕えていたといい、遠山家の娘が山村家に嫁すにしたがって山村家に臣従したという。そして正蔵の父大脇文右衛門(未徹と号す)は、山村家家老として木曾の助郷設置に尽力したという。同書に記載されている山村家の役職一覧では、大脇文右衛門の名前を家老の項で確認することはできないが、二代文右衛門が明暦二年(一六五六)に勘定奉行に、また三代文右衛門が正德元年(一七一一)に材木奉行についていることがわかる。さらに四代惣助と五代文右衛門が、それぞれ享保二十年(一七三五)と宝暦十年(一七六〇)に御用達役(谷中御用取扱役)についていることも確認できる。大脇家は、近世前期からの山村家の重臣であり、おもに地方支配や財政を担当していたのである。

ここで参考文献として挙げられている『木曾福島町史』(編木曽福島町 1982)については、ADEACにデジタルアーカイブとして保存・公開されていたので参照することができた。インターネット万歳!

確認してみてわかったのは、『檜物と宿でくらす人々』は引用の課程で、となりの行に記された人物の就役年を誤って記述しているなど、明らかな誤植が見られるということ。情報の出どころとなる一次史料や二次史料についての言及もしっかりとなされているため、年号などは『木曾福島町史』の方を参照したほうが良さそうだ。

 

また、これ以外に木曾町の福島小学校に据えられている大脇自笑の顕彰碑も参考になる。自笑とは、系譜に十一代として記されている重騏(武一郎)のことであり、この顕彰碑には漢文で彼の略歴が記されているのだ。

ちょうど『木曾福島町史』に訳文があったので使わせていただこう。

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顕彰碑訳読(『木曾福島町史』より抜粋)

このほかADEACのデジタルアーカイブにて関連する人名を検索してみると、中津川市の古文献アーカイブほか、いくつかの史料にて記述が確認できた。ひとまずこれらの史料から得られる情報と、系譜の記述を見比べていきたい。

 

四代 重隆/太郎右衛門

  • 天正11年(1583年)4月7日生まれ
  • 寛永10年(1633年)10月9日没(享年50)

大脇自笑についての紹介では、ほぼ必ず大脇家の遠祖について「苗木藩遠山氏に仕えていた」「後に山村氏に臣従した」という趣旨の記述があるが、これらはいずれも顕彰碑の記述を参考にしているものと思われる。系譜にも「遠山ノ薦ニ応シテ山村良勝ニ事ヘ木曽福島ニ移ル従是連続シテ山村家ニ仕フ 依テ中興ノ祖トス」とあり、内容は一致している。また顕彰碑に「八世の祖太郎右衛門」とあるが、こちらも「四代」として記された太郎右衛門こと重隆から数えて、八世代目にあたる「十一代」が自笑となっているため、系譜による情報と一致していることになる。

なお系譜によれば重隆には二子があり、長男重政が跡を継ぎ、次男重宗は大脇嘉介と称し、苗木藩主遠山秀友の家臣となったとある。

 

五代 重政/文右衛門

  • 元和5年(1619年)2月5日生まれ
  • 宝永3年(1706年)9月20日没(享年89)

『木曾福島町史』に記載された山村家の役職一覧には、勘定奉行の項目に「二 大脇文右ェ門」の名を見つけることができる。氏名の上に記された漢数字は「其家の何代目かを示す」との注釈があるが、重隆を大脇家の祖とするなら、たしかにその子である重政は二代となるため、「二 大脇文右ェ門」=「五代 重政/文右衛門」と考えて良さそうだ。就役年は明暦2年(1656年)となっているため、彼が生きていた時代とも合致する。

なお系譜によれば、鍛冶兼門に命じて一刀を鍛えて自愛し、また茶道を嗜み御紋章の模様がある茶釜を愛用したとある。そういうのを遺しておいてもらえませんかね?


六代 重時/文右衛門

  • 明暦元年(1655年)6月10日生まれ
  • 元文元年(1736年)11月10日没(享年81)

役職一覧には、材木奉行の項目に「三 大脇文右ェ門」の名が見られる。在職期間は宝永8年(1711年)~享保元年(1716年)とあり、系譜における六代重時の生年とも矛盾しない。

系譜によれば、公務を終えた余暇として每日墨汁一升を使うほど習字を好んだとのことで、硯三面を摩滅させたとある。六代に限らず、系譜には趣味についての言及が多い。どうやら、ご先祖さまたちには趣味人が多かったようだ。


七代 成弼/惣介

  • 天和3年(1683年)8月生まれ
  • 宝暦12年(1762年)3月2日(享年81)

役職一覧には、御用達役の項目に「四 大脇惣助」の名が見られる。就役年については『檜物と宿でくらす人々』では享保20年(1735年)となっているが、『木曾福島町史』の原文は享保15年(1730年)とある。先述のとおり、後者のほうが信憑性が高そうだ。いずれにせよ、七代成弼が生きていた時代とは一致する。

 

八代 雄鎮/文右衛門

  • 正徳5年(1715年)10月3日生まれ
  • 寛政7年(1795年)7月27日没(享年81)

役職一覧には、御用達役の項目に「五 大脇文右ェ門」の名が見られ、在職期間は宝暦6年(1756年)~宝暦10年(1760年)とある。また『中津川市史 中巻Ⅰ』には、中津川代官として大脇文右衛門の名が記されており、宝暦2年(1752年)~宝暦6年(1756年)まで、その役を務めたとある。中津川代官を務めた後、御用達役となった、ということだろう。

ちなみに系譜には「砲術ノ名手タリ」と記された後、「君資性容貌絶美常ニ婦女ノ感慕煩悩ニ堪ヘス自カラ髪ヲ剃リ揆鬢変装シテ之ヲ避リ 故ニ鬢髪発砲ノ像ニ主君題字ヲ親書シ賜リタルノ画像アリ」とある。なにそれおもしろい。

 

九代 信昌/文之進

  • 延享3年(1746年)4月20日生まれ
  • 文化5年(1808年)1月16日没(享年64)

『木曾福島町史』の役職一覧は「安永頃まで」とされており、九代信昌に該当するであろう「文之進」以降の名前は見られない。

なお、『檜物と宿でくらす人々』には「正蔵の父大脇文右衛門(未徹と号す)は、山村家家老として木曾の助郷設置に尽力した」とあるが、系譜によると正蔵の父は信昌(文之進)であり名前が一致しない。そもそも『中津川市史 中巻Ⅰ』によれば「山村家の家老大脇文右衛門」が木曽の定助郷制度実施を出願したのは、正徳元年(1711年)ことであり時代も合っていない。1711年に現役として家老職にあった可能性がある文右衛門となると、六代重時だろう。実際、系譜には重時の戒名が「高徹院法輪未徹居士」であったと記述されており、「未徹と号す」という記述とも一致している。

ちなみに系譜では、信昌の項目に「往昔ヲ追偲シテ姓ヲ織田ト改ム」とある。表向きは「大脇姓」を、身内では「織田姓」を使っていたという口伝があるのだが、おそらくこの記述に由来するのだろう。ただし、史料上で「織田姓」が現れ始めるのは、確認した限りでは二代後からになる。

 

十代 信就/正蔵

  • 天明3年(1783年)4月12日生まれ
  • 嘉永5年(1852年)12月2日没 (享年70)

彼の半生については『檜物と宿でくらす人々』の『第五節 山村家「天保の難」』に詳しく記されている。同書の記述によると「大脇正蔵(總助あるいは信就、字は士賢)は、天保十五年の尾張藩の裁許状によれば、「三代以前伊勢守(山村良由)以来、格別に相用いられ」た人物」だという。系譜でも「字ハ士賢悔室」、また「藩主大ニ優遇スル」とあり、一致している。

西筑摩郡誌』(西筑摩郡役所編 1915)によれば「地方奉行となり学事に参与」とあるが、この点も系譜には「地方奉行兼参與学事ニ預ル」と記されている。

彼が何をしたかと言えば、谷中御用取締役として地方支配の実権を握り、当時、財政危機にひんしていた山村家を再建すべく「修法」なる改革案を提示。これが主君である山村良祺の逼塞*1を含む非情なリストラ案だったため、一部の勢力から猛反発を喰らい山村家家臣が「正蔵派」と「反正蔵派」の真っ二つに分かれて、泥沼の政争を展開することに。その結果、背伐*2問題の責任をとらされた上、良祺の義母である蓬栖院との密通スキャンダルまでブチ挙げられて大炎上したらしい*3。そして反正蔵派の攻勢で、改易*4までされて失脚したものの、後に尾張藩主を巻き込みつつ処分が見直されて盛り返し、最終的には政敵をまとめて放逐……というカルロス・ゴーンもびっくりな人生を歩んだようだ。

 

十一代 重騏/武一郎(自笑)

  • 文化6年(1809年)2月9日生まれ
  • 明治9年(1876年)9月14日没(享年 68)

おそらく四代以降のご先祖さまたちの中で、もっとも有名な人物。島崎藤村の『夜明け前*5にも、ちらりとその名が出てきたりするほどだ。
顕彰碑によると「君諱を粛。後更に重騏という。字を希魯。栗斉と号す。武一郎と称し、自笑は其晩号なり」とあるが、系譜にも同様の記述がある。その他、松崎慊堂の塾で学んだことをはじめ、射御銃砲皆師法ありとする点も系譜と同じ。

中津川代官となるが、父である正蔵が失脚した際に連座して任を解かれている。『檜物と宿でくらす人々』によれば、正蔵の指示で隠密のように情報収集にあたっていたようで、顕彰碑でも「濃尾甲相豆武の間に奔走し、怨家を探捜し以て父の冤を雪ぐ」とある。系譜では「密カニ父ノ怨敵ヲ探索シテ終ニ其冤ヲ雪キ」という恨みつらみに満ちた表現となっているのが面白い。
復籍後は「物頭兼軍事奉行」となったと記されている点は、顕彰碑と系譜ともに同じ。また私塾を構え教育に従事したこと、明治に入り学制発布によって小学校が設立されることになった際には、故郷に戻り福島学校(現・木曽町立福島小学校)の学督に就いたことも同様。やたらと声が大きかった、というエピソードも顕彰碑、系譜の双方に記述されている。

このように顕彰碑と系譜で経歴はほぼ完全に一致しているが、なぜか生年月日と命日が異なっている。命日については、顕彰碑が明治9年10月14日、系譜が明治9年9月14日であり、「九」と「十」をどちらかが取り間違えた可能性が考えられる。ただし、生年月日については、顕彰碑が文化5年7月15日、系譜が文化6年2月9日となっており、まったく異なるのだ。そもそも系譜には「明治四十五年門人有志相謀リテ頌徳碑ヲ福島学校庭前ニ建設セラル」とあり、顕彰碑の存在に触れている。この顕彰碑の建設にあたっては、息子である十二代文も関与(顕彰碑裏の連名に名が見られる)していたことから、その内容を知っていたはずだ。わざわざ、異なる日付を書いたということは、少なくとも文はこちらの日付の方が正しいと認識していたことになるだろう。

余談だが顕彰碑に「氏を織田と改む」とあったため、少し調べてみたところ、『山口村誌 上巻』に安政5年(1858年)11月29日の大火災の2日後、被害状況確認のために福島から派遣されてきた役人として「織田武一郎」の名が見られた。また、安政6年(1859年)の「御家中分限帳」に御軍役として、同じく「織田武一郎」とある。これまで織田姓を対外的に使い始めたのは明治維新後であると考えていたが、それよりも早い段階であったことが確認できた格好だ。個人的に、これは新しい発見といえる。

 

十二代 文/文右衛門

  • 天保元年(1830年)5月5日生まれ
  • 明治33年(1900年)11月10日没 (享年70)

系譜によれば安井息軒の塾で漢学を学び、箕作麟祥の下で法学を学んだとある。明治5年豊岡県少属、後に大属となり、判事補として各地に転勤、16年間勤め上げて依願免官したという。どうやら豊岡県権参事を務めた大野右仲の下で働いていたらしく、ネット上で検索した限りでは、社寺上知令に伴って妙見社に派遣され、境内の土地没収に関与していたという記述も見られた。この時は「大脇文」名義だったようだが、東京谷中にある我が家の墓では「織田文」として記されている。

なお系譜には、茶事、狩猟、飲酒を好み、酔えば必ず歌を歌ったが、これがなかなかに名人だったという謎の逸話が残されている。

 

と、ここまで「系譜」に記されていたご先祖さまたちを追ってみたが、それ以外の史料でも彼らが生きていた痕跡を、思いの外たくさん見つけることができた。四代の出自については、もはや証明する手段はないが、大脇自笑のような知識人が自分たちのルーツを想い織田姓を名乗り始めていたというのは、なかなか面白いといえるのではないだろうか。 

*1:江戸時代の武士や僧侶に対する刑罰。門を閉ざして日中の出入りを禁じる

*2:江戸時代の木曽山林において停止木を伐採すること

*3:この密通疑惑は本人、および蓬栖院がともに否定。蓬栖院は正蔵復権のため積極的に動くことになった

*4:武士身分の剥奪

*5:「来たる年には木曾福島の方へ送って、大脇自笑の塾にでも入門させ、自分のよい跡目相続としたい。そんな話が寿平次の口から出て来た」と地元で有名な教育者といった扱いで登場する

世界地図の創り方⑤:創作世界の独自ルール

当記事は「世界地図の創り方」の第五章です。序文および目次はこちらから。

だってファンタジーだから

 さて、ここまで「現実世界の地球」を基準として、作品世界の地図をいかに創るべきか考えてきた訳ですが、最後に「ファンタジー要素」の採り入れ方についても検討しておきたいと思います。

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ユグドラシルを中心とした北欧神話の世界観。すごい構造。だって神話だから!
パブリックドメイン引用元

 「ファンタジー」の定義については、様々な意見があろうかと思いますが、一般的に「幻想的/空想的であること」や「魔法に類する現実とは異なる法則性が重要な役割を果たしていること」などが、挙げられるのではないでしょうか。では、そうした幻想的で空想的、魔法のような独自の法則性を加味するにあたって、気をつけるべきことは何でしょう?
 筆者は、「その世界観なりの筋道」にあると考えます。
 極端な話ですが、「砂漠」の隣に「大氷河」があるような世界地図を創ったとしても、そのようになる理由付けがあるのであれば、まったく問題がないと思います。たとえば、「世界には七柱の神が封じられており、それらの土地の周囲は、該当する神が司る属性の影響を強く受けている」という設定があったらどうでしょうか。ある土地は、火の神が封じられているため極度に乾燥し、灼熱の砂漠地帯となっている――そして、隣接する土地には、氷の神が封じられており極寒の大氷河が広がる――。これならば、読者も納得して物語に集中することができるでしょう。
 片や、「ファンタジーなんだから現実世界の法則は無視しても良い」というだけの理屈で、都合のいい世界を広げていったとしたらどうでしょうか。芯となるルールが存在しないだけに、その都度、創作者の都合で世界設定が決められていくことになり、長く続けば続くほどに、一貫性がなくなり矛盾で溢れかえることになるはずです。そうなってくると、読者の中には不自然さが気になって物語に集中できない人や、安っぽい世界観だと感じて読み進めることすら止めてしまう人も出てくるリスクが高まっていくでしょう。
 ファンタジー要素を作品世界の地理に当てはめる場合は、それを読者に明らかにするかどうかは別として、しっかりとしたルールを創っておき、運用しておくべきだと筆者は考えているのです。まったく矛盾のない完璧な世界を目指そうとすると、それはそれで疲れてしまいますが、最低限の心配りをすることで作品世界への没入感を高めることができるのではないでしょうか。